大人になってから―具体的には30歳前後でしょうか―ふと高校時代の恩師を思い出すことがあります。
美術部の先生で、部活にとても熱心、そして厳しい方でした。よく叱られた記憶があります。当時は先生の言葉の意味がよくわからず、心の中で反発したこともありました。
今になって思い返すと、自分の未熟さが恥ずかしくなり、できることならあの頃の自分をやり直したくなる気持ちになります。理解できなかった先生の言葉が、今では恥ずかしさとともに思い出され、胸に響きます。そして同時に、あのとき叱ってくれた存在が、どれほど貴重だったのかを改めて実感します。
先日、中学生になった娘の学校で、校長先生のお話を聞く機会がありました。その中で「働き方改革と教育の両立」について語られていたのが印象的でした。
校長先生が若い頃は、土日や昼夜を問わず、生徒に何かあればすぐに駆けつけて指導するのが当たり前だったそうです。私の学生時代もそこまでではありませんでしたが、学校には必ず一人は厳しくて少し怖い先生がいて、風紀をしっかりと取り仕切り、いわゆる“問題児”にも真剣に向き合っている姿がありました。
しかし今では、そうした働き方は「ブラック」と呼ばれ、教職を目指す若者も減っているという現実があります。
これからは、学校と家庭がそれぞれの役割を明確にし、力を合わせて子どもを育てていく時代です。昔のような熱血指導や厳しい叱責は、ますます難しくなっていくのかもしれません。
もちろん、叱ること以外にも教育や愛情の伝え方はあります。それでも、大人になった今、私がしみじみと思い出すのは、褒められたことよりも、むしろ叱られたことのほうなのです。
そしてようやく気づいたことがあります。それは、「叱る」というのは、相手のことを本気で思い、大切にしていなければできない、手間もエネルギーもかかる行動だということ。
だからこそ、叱ってくれる存在は本当にありがたいのです。
時代は変わっていきますが、「相手を思う心」だけは、いつの時代も変わらずに持ち続けたいと思います。聞いていないように見えても、響いていないように見えても、本当に相手を思って伝えた言葉は、きっと心のどこかに残り続けるように思います。かつての私がそうだったように。
娘の成長を見守りながら、私自身も、今の時代に合った「伝え方」を模索していきたいと思っています。
令和7年6月〈学参デザイン・組版・イラストのクリエイター〉
有限会社ジェット 廣田 知子






